消えない憎しみ

2015.12.13.Sun.22:54
毎晩毎夜聞こえてくる幻聴。祖母の裏切り、私への悪口。
私は祖母を許すことができない。私を可愛い可愛いと言ってくれていたあのときの祖母は嘘だった。ほんとは心の奥で馬鹿にし、疎んでいたんだ。
でなければあんな悪口を言うはずがない。
数年前、まだ祖父母と私が同じ部屋で寝起きしていたころ、私は祖母が祖父に私の悪口を言うのを聞いた。「あんな娘あったもんじゃないわね、ずっと家にいて」そんなニュアンスの言葉だった。私はショックを受けた。憎しみが生まれた。祖母から裏切られたと感じた。
それから、私の祖母への態度は冷たくなった。
祖父母が家に訪ねてくるたび、また来たの?等言うようになった。祖母はそれを苦に思ったらしいが、私にとっては自業自得だと思った。
過食嘔吐は止まらない。毎日5千円分くらい食べ吐きしている。幻聴も祖母への憎しみも消えない。苦しい毎日。
今が最悪だと思えるうちはまだ最悪ではない、という。それが本当であれば私はの状況はまだ悪くなる可能性があるということだ。怖い。
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祖母よ、死んでくれ

2015.07.29.Wed.21:58
昨日、だったか、祖母の死を願う旨のことをこのブログに書いたあと、毒殺の方法についてネットで調べてみた。
そして一番簡単かつ確実に近いと思われたのが、たばこの抽出液だった。
なのでさっそく祖父のタバコひと箱をこっそり拝借し、タッパに入れ、水をそそいで一晩寝かせた。
あとはそれを、祖母の味噌汁茶碗に混ぜればいいだけだった。
しかし、一晩考えて、せっかく作った毒物だったが結局それを私はトイレに流した。
やはり、バレて刑務所に行くのが怖かったのと、母の悲しむ顔を見たくなかったのだ。
祖父には悪いことをした。
朝起きてタバコがひと箱なくなっていて、さぞ不思議に思ったろう。
ああ私は結局、祖母の死を願いながらあと十余年を過ごさねばならないのだ。きっと楽な十余年ではないだろう。私にとっても、母にとっても。
願わくば明日、脳卒中でも起こしてぽっくり逝ってくれるといいのだが。
祖母よ、頼むどうか死んでくれ。

祖母よ、早く死んでほしい

2015.07.28.Tue.20:48
今、母が仕事を辞めようとしている。
理由は、祖父母の介護のためだ。
祖父はいたって元気だが、祖母は軽度のアルツハイマーであり、彼らの夕食を出しているのが私だ。夕食を出すと言っても、作るのは母で、私は作ってあるそれを温めて器に盛り、食べ終えたら洗い物をして片づけるだけだ。
母は、それを私の負担になっていると感じているらしい。夕飯の時間帯に家に居られるような、そんな新しい仕事先を探すと言っている。
私は、それを不安に感じている。
今の職場に就いたばかりの頃、母はそこになじめず胃を痛めて血を吐いた。次の職場でも人間関係をうまく築けるか私は心配なのだ。
夕食を出すことなんて私にとって全く負担ではない。何度そう言っても母は、今の職場を辞めると言う。
つい、祖父母さえいなければ、という考えが頭をよぎる。
いや、よぎるというにはあまりに長い間その考えが私の頭にある。ほぼ常に、祖父母の死を願っている。それは紛れもない事実だ。
祖父母には早く、可能なら明日にでも死んでもらいたい。特に祖母の存在は私にとって最大のストレス源だ。なんど、頭の中で彼女を殺すシミュレートをしたか知れない。
私はこんなにも誰かの死を心から願えるものなのかと、自分自身に対して不気味な驚きを感じている。
祖母は毎晩、私が布団に入ると左耳のほうから私の悪口をぶちぶちと言い始める。それは幻聴である。幻聴であるとわかっていても、彼女を憎む気持ちは消えない。
今日などは、頭の中で彼女を蹴り殺すシミュレートをした。シミュレーションの中では、祖母の頭の横側に力いっぱい蹴りを入れ、倒れこんだ先にテーブルがあって、そこに頭を強く打ちつけて祖母は死んだ。
いつも猫背になってよたよたと歩いている祖母をそうやって殺すのはそう難しいことではないように思えた。
しかし。
考える。
いつも、祖母を殺した後のことを考える。
殺人罪に問われれば刑務所に行くことは免れないだろう。そして刑務所暮らしが私にとって地獄に等しいことであるのも、想像に難くない。
さらに、祖母が死んだあとの母の悲しみ。親孝行がしたいと言っていつも祖父母を客のようにもてなす母。私がもし祖母を殺したならば、母が悲しむだろうなんてことは、やっぱり考えてしまうのだ。

誰かの死をねがうことが倫理的タブーであること、人として最低であることはわかっている。それでも願わずにいられないのだ、祖母の死を。この気持ちを分かり合える人は存在するだろうか。
祖母さえいなくなれば私のすべては幸福になり、母の負担も減る。
祖母は今、80歳弱。自然死するのを待っていたらむこう10年はかかるかもしれない。それまでこの苦しみが続くのならいっそこの手で、と願うのは良いことではない。悪しき願いだ。わかっている。
祖母の死を願ってやまないことも、私が私をクズ足らしめる要因のひとつなのだ。

些細なことが大きな苦痛に感じられる

2015.07.09.Thu.00:00
7月8日、この日私は作業所をズル休みした。
はじめてのことではない。前にもズル休みしたことが一度だけあった。

なぜ、と聞かれれば、雨が降っていたから、でいいだろう。もちろん作業所の職員さんには電話口で「全身がだるくて…」とか言いながら休んだが、嘘である。
作業所に行くことは苦痛だ。
作業自体が苦痛なのではない。行くことが苦痛である。自転車をこいで、10分の道を行くのが私にはこの上なく苦痛に感じられる。
同じ作業所の中に、自転車で30分かけて毎日通ってくる女性がいる。
私には彼女がモンスターか何かに思える。
すごい、真似できない。そして羨ましい。

私は作業所を辞めてしまいたいと今日母に打ち明けた。しかしながら、母から了承を得られるはずもなかった。
「人間関係がこじれてとか、作業が体力的にきつくてとかならともかく、自転車で通うのが辛くて辞めるなんて許されない」
母はそう言った。私には反論はできなかった。
母は私のことをワガママだとも言った。
まったくもってそのとおりである。
私は自分のこんな部分を情けないと思う。
なぜ、自転車を10分こぐことがこんなに苦痛なのか。
いや、おそらく自転車をこぐこと自体が苦痛なのではない。
作業所に行く13:00までに昼食を詰め込み、吐き終え、きちんと準備する、それが私には窮屈で苦痛なのだ。
時間も気にせず好きなだけ食べて吐いてができる、そんな休日が身に沁みついているのだ。
だから、些細なことで大きな苦痛を感じてしまう。
これでは就職できる日はいつになるやらわかったものではない。
私の未来に光はあるのだろうか…。

若さ、そして健全さ

2015.07.07.Tue.21:55
これを書いているのは21:30頃。津波のような過食衝動との戦いを終え、好きなだけ食い、全部吐き終え、消化用食材のバナナをほおばりながら書いているところである。

今日は自分に負けた日だった。16:30過ぎ、プリンとコーヒーゼリーを食べたい衝動に勝てず、菓子パンやカップ麺とともに過食してしまった。13:30から16:00までは寝逃げできていたのに、無念だ。
リビングのテレビをつけながら、ソファに横たわって寝逃げしていた。うつらうつらはしたと思う。テレビというのは案外面白いものなんだな、と最近思う。
しかし、ふつうに起きた体勢で観ていたのでは、過食衝動がやってくる。
横になって眠る体勢でないと、私はまともにテレビを観られない。
そういえば、今日は昼寝の前に大量の飴を食べてしまった。一袋超は食べたと思う。
じいさんにまた飴を買ってきてもらわねばならないが、以前「また?前にも買ったばかりじゃないか。病気か」と言われたので、頼みづらい。
その言葉の「病気か」の部分が私の胸に深く突き刺さった。
そうだ、私は病気なのだ。
本来ならば、入院して治さねばならないほどの重度の過食嘔吐。
それをじいさんばあさんは知る由もない。だからこそ突き刺さったのがじいさんの言葉だった。
ああ辛い。
街で、他人を見かけるたびに思う。今私より生きるのが辛い人間がいるのだろうかと。他人の健全さが羨ましい。
普通に3食食べ、娯楽を楽しめる他人が妬ましくてしょうがない。

そして若さが羨ましい。
学生を見かけると、その若さを吸い取るかのように大きく深呼吸する。彼らの若さと健全さ、それが私には羨ましくてしょうがない。

そして誓う、明日からは過食嘔吐するのは晩だけにしようと。
そして結局また弁当3つ買うのだ。今から明日の自分がわかる。
眠りにつくまでまだ時間があるのだが、この21:00から夜中にかけての時間のみ、私は正常なのだ。
食べなくてもネットや絵描き、音楽、エクセルの勉強などに打ち込めるのだ。
そう、私は今健全だ。

胃の中にはバナナがある。それと懸賞で当たったトマトジュース。
これらを吐かずに、追加で何か食べたりせずに、23:00まで乗り切れば私の勝ちだ。
さあ乗り切るために今日は何をしよう?
動画観賞か、絵描きか、エクセルか?
音楽を聴くためにitunesを起動しておこうか。
さあ、夜は長い。